トランセンデンスとチャッピーの共通点について。(ネタバレあり)
先日言ってた「下書きに放置しておいた」記事を垂れ流す作業をしてみます。途中まで書いてたものはそのままにして、途中からちょっと書き足します。
ちなみに2行ほど下の「人生がかかっている試験」は見事に失敗しましたてへぺろ←
どうも、ブログを書こうと思い立ってからかなりの時間がたってしました。
ちなみに明日は人生がかかっている試験があります←
実は私の好きな映画で記事を書こうとしていたのですが、好きであるが故に何も書けなくなって気が付けば1ヶ月以上たってしまいました。
レビューというには稚拙で、考察というには自身の思いばかりを書き連ねていますが、それでもよろしければ。
あらすじなどは書いていないのでwikipediaなどを参照していただけるとわかりやすく記事が読めるかと思います。
※ネタバレを気にせず書いてありますので注意してください。
昨年「トランセンデンス」という映画が公開されましたね。私は今更ながら本日観ました。この映画を観て思い出したのが、今年5月に公開した「チャッピー」です。
両方を観た方はお察しのとおりですが、この映画、どちらも「機械に存在する自我」を描いている作品です。
SFにおいて「自我を持つロボット」はA.Iやスターウォーズをはじめ数多く描かれています。現代ですでに描ききられているといっても過言ではないほどです。
トランセンデンスはかなり酷評?されてますが正直私はとても面白かった。何故かというと、脳のデータをコピーしたものでありながら「彼」は彼そのものとして自立しつつあったから。
というのはどうでもよくて(よくないけど)、トランセンデンスとチャッピーの共通点って「人の脳がデータ化されて他の媒体に移し替えられる」という部分ですよね。
私が考えたいのは、「脳がデータ化された時点でそれはクローンと一緒で、同じ自我を持っているように見えて結局は別物なのではないか」ということなのですよ。そのクローンが生まれた先の人間にとってのバッドエンドを描いたのがトランセンデンスで、クローンたち、つまりここではロボットたちにとってのハッピーエンドを描いたのがチャッピーなわけですよ。
ここで1番言いたいのは、チャッピーのラストは「彼ら」にとってのハッピーエンドであること。つまり、その先もしかしたら最悪の事態が起きて、博士の脳が暴走してうっかりトランセンデンスみたいなバッドエンドになってしまう可能性もなくはないのではないか、と。
今の例えは極端でしたが、そこまで考えることもできるのではないでしょうか。
個人的にはこの2作品はとても似ている題材を扱っていて、これらが同じ年度に公開されたという事実に奇跡を感じてしまうのですよ。
これだけ言いたかった!(笑)
これからもこういう変なことばかり書きますが、よろしければお付き合いください。
では。